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頑張れ!故郷 ~『霧幻鉄道 只見線を300日撮る男』

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2011年3月に東日本大震災が福島を襲いました。そして、その4か月後に福島はもう一つの災害に遭遇しました。それは新潟・福島豪雨による甚大な水害。鉄橋の崩落により、住民の足である鉄道・只見線は寸断されたのでした2374その地がまさに私の故郷である奥会津です。

廃線の危機でもあった只見線は、地元出身の写真家の星賢孝氏と地元の方々の情熱と努力によって、11年という歳月を経て、ついに2022年10月1日に全線開通することが叶いました。

その只見線と人々と沿線の四季風景を写したドキュメンタリー映画『霧幻鉄道 只見線を300日撮る男』が、大阪・梅田でも上映されましたので観に行ってきました。

何年も帰っていない故郷の景色は、今は、どんな状況なのだろうか…。

スクリーンに映し出された故郷の景色は、画像も映像も、とても壮大で美しいものでした。

子供の頃、そして思春期の頃、あまりに当たり前に溢れた日常ゆえに意識し感じることができなかった自然の素晴らしさに、遠くそして長く離れた今だからこそ、2375改めて感動いたしました。肉眼に映る景色には限界があるのかもしれません。
それとも私の感性が足りないのかもしれませんが、スクリーンに映し出された映像は、記憶の残像とは別物のようでした。でも、それらは確かに、私が見ていた景色でした。

来年は里帰りしてみようかな。春の土の匂い、夏のむせかえるような道に生えた草の匂い、秋の夜長の虫の声、しんしんと降る雪の静寂な冬、どの季節でもかまわないから…。

岸田総理大臣が、先日の9月22日の会見で、水際対策の緩和と旅行支援策を発表しました。この映画と只見線の全線開通を契機として、故郷・奥会津に足を運んでくれる人が少しでも増えればうれしいです。

■映画『霧幻鉄道 只見線を300日撮る男』のサイト
https://www.mirufilm.com/mugen/
■色鉛筆画家・大竹惠子さんのサイト
https://www.facebook.com/keiko.ohtake.1
https://www.instagram.com/k.ootake/

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※この度、ミルフィルム様のご厚意により、映画『霧幻鉄道 只見線を300日撮る男』のパンフレット画像を使用させていただきました。誠にありがとうございました。

振り返りますと今年、司馬遼太郎原作の『峠』という映画も全国公開されました。その主人公である越後長岡藩家老・河井継之助が、八十里越を落ち延びて最期を迎える劇的な炎の場面、そこが奥会津・只見町塩沢。いまそこには長岡とは別に河井継之助記念館が在ります。最寄り駅は今回開通した会津塩沢駅とのこと。映画ファン、歴史ファン、とくに幕末維新史ファン、また司馬遼太郎ファンにとっても、只見線は特別の意味を持つのでしょう。その河井継之助の命日が8月16日、旧暦ですので現在ならば10月1日。たまたまでしょうが、只見線の全線再開通・再生の日と同じというのも、もしかしたら何か運命的なものがあるのかもしれません。

奥会津・大志集落は日本のスイスと称されています。山と川の大自然に赤と青のトタン屋根が織りなすメルヘン世界。もともと只見線開通時に、蒸気機関車からの火の粉を防ぐため、茅葺にトタンが張られたとか。かたや弊社の在る大阪・梅田。初めて鉄道が敷設されることになったとき、その頃の大阪の中心地は堂島。当然に堂島に大阪駅が計画されたのですが、堂島の人々は大反対をしました。町が火事になるからと。そこで堂島の北の外れ、そこは人も住まない田圃と墓場でしたが、そこに大阪駅が建設されました。田を埋めた土地だから「うめだ」…今では西日本一の大都会です。歓迎され愛された奥会津と、嫌われ厄介ものとされた大阪…その地の人々の、鉄道に対する考え方は、正反対だったようです。

当時の特殊性や地域性もあったでしょう。また時代も移り変わりました。それでも奥会津の人々の鉄道に対する優しさは、映画の中に、変わらず溢れ光っていました。時代と熱い想いを継いで、只見線と奥会津とそこで生きる人々が、素晴らしい風景と笑顔のまま、いつまでも変わらず終わりのないことをお祈りしています。

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2022/10/08 posted by R