ブログ…弊社秘書・スタッフの随想・メッセージ・独り言・・・。
大学生の頃、精神論とか哲学論がすごく好きでした。
数学や物理と違って、ひとつの答えがないもの、正解はなく、答えが幾つもあるという"可能性"を考えるのが楽しくて、単純な事の深読みばかりしていました。専攻していた学部も関係していたように思います。
文系の大学生って、議論をするのが好きなイメージ。
私の周りにはそんな人がとても多く、よくくだらない事を議論していました。類は友を呼ぶということなんだろうけれど、若輩者が、人生について真剣に話していたのです。(とはいえ、まだ全然若輩者なのだけれど。)
今の私からはもう消えてしまった、純粋無垢なパワーがあったのでしょう。大学生って成人していても、所謂モラトリアム期間とはちょっと違った見方で言うと、人生で最後の子供でいられる時間なんだろうなあと、しみじみ思っては懐かしくなります。
そのきっかけになったのが、「老人と海」で有名な、アーネスト・ヘミングウェイの「雨の中の猫」という作品の講釈をする授業でした。
私の解釈は教授とは少し違って、「理想からの現実・欲望からの失望・淋しさからの自己顕示」かなー?と。あんまり多く講釈を垂れるとネタばれしていまいますから、サクッというとこんな感じです。
面白いので是非読んでみてください。
それからというもの、映画でも、スカッとするハリウッドムービーのようなものをあまり見なくなりました。いつも結局、見るのは深読みできるヒューマンドラマのような映画ばかり。小説だってそうです。
日ごろ私たちが生きていく中で、生活のうちに見ている事象というのは私の視点でしか見ることの出来ない「私の世界」です。私は私の感情しか知らないし、私は私が経験した事しか身につけられません。だからこそ、私は本を読んで、その主人公になりきって疑似体感してみます。それがイコール深読みに繋がるわけなのです。
そうすると、日常生活の一部が少しだけナナメから見えます。いつもなら気付かなかった事に少しだけ、敏感になれます。