ブログ…弊社秘書・スタッフの随想・メッセージ・独り言・・・。
寒さをあまり意識しなかったこの冬、『春の訪れ』という言葉のウレシさも忘れてしまいそうな冬でした。しかし、時は刻まれ季節は巡ります。人の感覚や感情をまったく気にすることなく。気がつけばもう、関西に春を呼ぶといわれる『お水取り』の季節。
思い起こせば、お水取り行事を観てエントリーしたのは、このホームページをリニューアルして間もない頃でした。あれからもう一年が経ちました。同じ道のりを同じように歩きながらも、また違った思いを持って、今年も奈良・東大寺二月堂へと出かけました。
午後7時開始というのに、午後5時30分ですでに超満員。二月堂の舞台を遥か遠くに望み、しかしなんとかお松明(たいまつ)は見える、というかなり後方の位置。しかも、ちょうどラッシュ時の満員電車なみの状態です。座り込む幅も許されず、人々は立ちつくしてただひたすら午後7時を待つのでした。
「・・・じゃん」と、前に立つ母娘らしい二人連れは関東弁で親しく会話し続けていました。また、「…じゃけん」と後ろの若い女性二人連れはおそらく広島からのツアー客らしく、今夜のホテルの懐石料理の話題で盛り上がり、右の中年男性はペンとクロスワードパズル本をにらみ続け、左の中年女性はみたらし団子やら草餅やら・・・をカバンから小出しして、ひたすら食べ続けて・・・皆、ただ、ただ、待つ。このパワーはいったい何なのでしょうか?少なくとも、私の周りからは、宗教心というものではナイことだけは、確かなようでした。そう、この私も含めて。
日も暮れて暗くなると、お堂の燈明が闇に浮かび上がりました。幻想的な世界となり、待ち望んだ午後7時、そこに天井を焦がさんばかりの勢いで、燃え盛るお松明が現われました。火の粉が舞い歓声が湧き上がります。この火の粉を浴びると無病息災になるとか。20分ばかりでこの火の祭典は終わり、帰路を急ぐ群衆に対して、押し合わないようアナウンスがされました。最後には「このあと、世界平和と人々の幸せを願って、堂内では夜を徹して行法が続けられます」と付け加えられて。
その言葉につられたのと混雑に疲れたので、しばらくの間、お堂舞台に留まることにしました。お参りする人々、秘密の行法を壁や布越しに見聞する人々、ロウソクを灯して祈る人々、ここかしこにカメラを向ける人々で混雑し、熱気はいつまでも止みそうにありません。舞台から西の大阪方面を見ると、手前に大仏殿の屋根の漆黒の影、その向こうに奈良の街の夜景、そして生駒山の影、その先には大阪の街から発せられた光が空をぼんやりと薄墨色に塗って、キレイなシルエットを見せてくれていました。しばらくそこで、静かに眺望を楽しみました。
突然、ドーンと床を打つ大きな鈍い音が静寂を破りました。聞けば『五体投地』という行法のひとつだとか。行者が全身を地面に投げうって、仏菩薩に礼拝し懺悔するのだそうです。それだけでも、この行法の激しさを感じ取ることができました。
空気をいっぱいに吸って、私はそろそろ混雑のおさまったであろう奈良駅へと歩き出しました。ドーン、ドーン・・・とまだ響き続ける音を背にしながら。耳だけでなく、もしかしたら心に、それをより響かせながら・・・
ここ数日寒さが戻りましたが心地よい風…関西では今年、春が少し早いようです(^^