ブログ…弊社秘書・スタッフの随想・メッセージ・独り言・・・。
季節の歩みが今年ほど早く、行きつ戻りつしながらあっという間にソメイヨシノの満開の時期が過ぎてしまったという感覚です。
毎年、実際にお花見に行かなくても、テレビやインターネットで美しく、華やかで、でもどこかはかなげな薄ピンクの花々に癒され、風に飛ばされる小さな花びらをみながら季節の移り変わりを感じていましたが、今年はあまりなかったなと。
そんな残念な気持ちとは逆に、私にとって気付いたことがありました。とても小さなことなのですが・・・。
ひと月ほど前の地方のニュースで、「カタクリの花の群生する地で、根ごと掘り起こされ、盗難にあいました」と耳にしました。「えっ、カタクリの花?」記憶からよみがえる紫の花びら。テレビからは、「県や市や町の花として登録され、分布域は中部地方以北の広範囲の林内で見られ、観光名所にもなっている地域もあるとのこと。そして観賞用として高値で取引されています」とも報じていました。
現在では結構貴重な花だったのだなと思い、ネットで検索してみました。ユリの花の仲間で、いわゆる「ゆり根」、正しくは鱗茎(リンケイ)という栄養分の塊のようなものを土の下に持っていて、昔は、そこから抽出したデンプンを片栗粉として使用していたそうです。
花のことを両親に尋ねた時、その花の根っこから作ったからカタクリ粉と言うんだと教えられました。嘘じゃなかったんだなって今更ながら思います。(実は、小さい頃、牛肉が食べたいと言ったら、父が、自分が丑年生まれなので共食いになるから食べられないのだと言いくるめられたことがあったからなのですが・・・)古くは、万葉集にも詠われていました。
私の記憶の中のカタクリの花は、多少日当たりは良いものの、林の中の薄暗い感じの平らなところに、遠目で見ると、土の面をすべて濃い紫に染めていて思わずきれい・・・とつぶやいてしまうような景色なのですが、近くに行くと、細長い花びらを広げているのでそう見えただけで、それぞれ一輪ずつ隙間をあけて小さい範囲ではあるけれど個々にテリトリーをもった独立心の高い頑固な、つまり、みんな仲良しこよしという気持ちが癒されるような雰囲気もかけらもない花のように感じました。
キュッとまとまったらきれいなのにと、葉から上を茎のところから折って何本かまとめて家にもって帰りましたが、当然のようにすぐに枯れてしまいました。やさしい気持ちでほどこした子供特有のなんて残酷で罪深い行為だったのでしょうか、花をつけるようになるまで数年間を費やす貴重な植物なのに。
現在は、観光の名所として愛でられ、野生のものが乱獲などにより減り、栽培を余儀なくされているというカタクリの花。そして観賞用として販売される花。天気や、時期を考えながら、そして費用と時間をかけて見に出かけて、感じる美しさではなく・・・。
そんな花を自然の中で毎年のように見ていたわたしは、ある意味とても幸せな子供だったのだと。