ブログ…弊社秘書・スタッフの随想・メッセージ・独り言・・・。
騒音の止むことのない幹線道路を折れると、緑あふれる静かな並木道へと一変。なだらかな下り坂となっていて、少し進むと道路の合流点に達しました。よく見ると、合流点ではなく、クサビを打ちこんだように道路が分断されていました。そこにあるのは古びた井戸。
ここは大阪城の南約500メートル、法円坂1丁目、細川越中守屋敷跡。屋敷は焼け落ちて今はもうありません。ただ、『越中井』と名付けられた古い井戸だけがその名残を留めています。
西暦1900年、細川忠興が出兵した留守の機に、石田光成は、その夫人細川ガラシャに人質となることを要求して屋敷を取り囲みました。彼女はそれを潔しとせず死を選択。キリシタンであったため、家老に首を打たせて屋敷に火を放ち、火の中に果てたそうです。ここは、細川ガラシャの終焉の地。
『散りぬべき とき知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ』
父明智光秀の反乱以来、子供との別離、人里離れた幽閉、夫の嫉妬…と、悲しい運命を背負った稀代の麗人の辞世の句です。キリスト教の洗礼を受けたとき、彼女はまるで別人のように晴れやかになったと伝えられています。
怒り、嘆き、恨み、忠誠、愛、信仰…果たして、37歳でこの世を去ったその最後に、彼女の心の一番奥底にあったものは、一体何だったのでしょうか?
残念ながら今の季節、めぼしい花は見あたりません。しかし、ここは、大阪でも珍しいほど緑にあふれた静かな一角です。